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美をめぐる旅

信仰と幻想が習合する“異郷”国東半島 その3

2016.08.05

写真・文/佐藤健寿

駆け足で巡ったこの国東半島撮影取材も、ついに最終日の3日目を迎えた。その日、最初に向かったのは国東半島のちょうど付け根に位置する、熊野磨崖仏(まがいぶつ)。国東のあらゆるガイドやパンフレットでも目にするこの国東の象徴[※1]を、ここまで来て見ないわけにはいかない。

※1 古代からこの地に広がる八幡信仰は、奈良時代に仏教と融合し、六郷満山と呼ばれる独特の文化を拓いた。その神仏習合の歴史を最もよく伝えているのが、この国東の磨崖仏。国東半島を中心とした大分県内に約80箇所、その数は400を超えるといわれ、中でも最も有名な磨崖仏が、この熊野磨崖仏なのである

国東の「岩」の究極、熊野磨崖仏

熊野磨崖仏は文字どおり、熊野という集落にある。車で山道を抜け、民家の間を縫うように続く細い道を行くことしばらく。ようやく熊野磨崖仏のある山道麓にたどり着いた。車を降りて見渡すと、国東では恒例の景色が広がっている。看板が示す方向は当然のように山道へと続いていて、もはや3日目にして驚きもない。国東の名刹とは、すなわち登ってたどり着くものなのだ。

ガイドによれば、麓から磨崖仏までの距離は約350m。大した距離ではないが、それでも先の見えない山道を上るのはなかなか骨が折れる。国東の観光はとにかく歩きます、と事前に聞いていたが、3日目にしていよいよ太ももに軽い筋肉痛を感じ始めていた。しかしこれも今日で最後、と足を踏ん張って進むと、ふと階段が終わって、石段が見えた。

この石段には奇妙な伝説がある。それは鬼が権現様に試され、ここに一晩で99段の石段を積んだという逸話である。私はこの話を聞いたとき、昔、秋田で同じような話を聞いたことを思い出した。

秋田県の男鹿半島に有名な赤神神社・五社堂という神社がある。この神社は東北の鬼=ナマハゲ伝承において最も重要な神社のひとつなのだが、ここにもやはり999段とされる石段がある。そして由来もやはり「神様に試されて鬼が並べた」というもの[※2]なのだ。

赤神神社の古伝によれば、鬼は昔、中国から連れてこられた五匹の鬼で、それがいつしかナマハゲとなったという。国東半島に男鹿半島、そして修正鬼会(しゅじょうおにえ)とナマハゲ。同じ来訪神の伝説を有するふたつの半島で、相似する神話を持つことは、単なる偶然なのか。あるいは同じ祖をもつ元は一つの神話なのか……興味は尽きない。

と、そんなことをぼんやり考えながら、バラバラに積まれた石段を歩く。注意しなければ足をくじきそうで、足元の丸石を見つめながら歩いた。そうして5分も歩いてふと頭を上げると、そこには木々の間から覗く、神々しい磨崖仏が鎮座していた。それはこれまで見た石仏とは比べものにならない。まるで山そのものから浮き上がってきた山の魂のようで、その克明な、力強い姿に思わず声をあげた。

※2 赤神神社の石段の由来もまた、人間を食べたいと申し出た鬼が神様に仕組まれて、鬼が一晩で999段の石段を積んだという話である。そして最終的に残りひとつで完成のところ、神様が鶏の真似で鬼を驚かすところまで一緒なのだ

熊野磨崖仏はふたつの磨崖仏からなっている。左側にある磨崖仏(写真上)が高さ8mの不動明王像、そしてその右側にある磨崖仏(写真下)が、高さ6.8mの大日如来像である。

伝説では、この地に六郷満山を拓いた仁聞菩薩によって奈良時代の初め(8世紀前半)に彫られたものといわれるが、その成立過程ははっきりとしていない[※3]。いずれにせよ、素朴で力強い不動明王と、精緻で優美な大日如来、その二つの磨崖仏はまるで陰陽のように対照的であり、そのコントラストが作る迫力は、非現実的な凄みを帯びている。その姿はなるほど、私たちがこの旅で見続けてきた国東の「岩」、その究極であることは間違いがなかった。

※3 現実的な時代考証では、国東に天台宗密教が広まった平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られたともいわれており、おそらく一人の仏師でなく複数の仏師によって長い年月をかけて彫られたものなのだろう

彼岸と此岸を隔てる五輪塔群、山頂に屹立する鉄像

磨崖仏を後にした私は、この旅の終わりに、不動山へと向かった。国東半島のほぼ中心にそびえる千燈岳の一峰である不動山には、かつて千燈寺と呼ばれる寺が建っていた。この旧千燈寺は8世紀、国東に28の寺を開基した仁聞菩薩が最初に開いた寺ともいわれ、六郷満山文化の中心的寺院であった。しかし16世紀後半、キリシタン大名として知られた大友宗麟によって焼き討ちにあい、今ではその名残をわずかに留めるのみ。現在は一帯が六郷満山ふれあい森林公園として管理されている。

山の麓の駐車場に車を停めると、周囲は見渡す限りの鬱蒼とした杉林。ここから先はゆるいトレッキングコースのような山道を歩いていく。入り口の古い鳥居をくぐってしばらく歩くと、当然のように仁王像が迎える。この仁王像は、国東では珍しく、レリーフのように平岩に半肉彫りされた立派なもの。旧千燈寺は焼き討ちされて、いまや見る影もないが、「岩」はここでもまた、歴史の生き証人であった。

山道を登り始めると、今度は岩屋に埋め込まれた奥之院へ。外には「枕の岩屋」と呼ばれる小さな岩窟があり、仁聞菩薩の入寂の地と伝えられている。注意しなければ見過ごしてしまいそうな(国東においては)普通の岩窟だが、それはこの山が国東における聖地であることを示していた。

さらに山道を歩くこと20分。今度は唐突に現れた奇妙な光景に言葉を失った。おびただしい数の五輪塔が、びっしりと山道に敷き詰められているのだ。ガイドに聞くと、ここには1000基以上の五輪塔が並んでいるという。その圧倒的な光景はまるでここから先は異界、と言わんばかり、彼岸と此岸を隔てる分水嶺のようであり、私に賽の河原の石積みすら連想させた。

そうこうしながらようやく杉林を抜け、私たちは山頂部へと到着した。そこで私たちを待っていてくれた現千燈寺の今熊住職と合流。今度は住職の手引きで、高さ10mほどの急な岩山をよじ登る。そして頂上にたどり着くと、住職が指差す方向に、真っ赤な像が、私と同じように、国東の山と海を見つめていた。

不動山の山頂部、五辻不動尊のすぐ側に立つこの像は、2014年の国東半島芸術祭において、イギリスの世界的彫刻家、アントニー・ゴームリーが建てた作品である。「ANOTHER TIME XX」と名付けられ、ゴームリーはそのコンセプトを「外側に広がる広大な空間や宇宙に対して、我々の身体に宿る内なる空間」を表現し、「人々が自分自身をこの内に投影してくれることを静かに待っている」と、表明している。

険しい岩場を慎重に下りて、像の側に立ち、山からの眺めを見渡す。なるほど、今まで見た国東の絶景の中でも格別の眺め。山から谷を経て海へと連なる六郷満山の景色がすぐ眼下に広がり、遙か遠くには姫島もよく見える。

長い国東の歴史の中で、さまざまな人々が行き交い、祈ってきた山。そこに立つ像の後ろ姿はどこか神々しくもあるのだが、近寄れば不思議と人間臭くも見える。しかしおそらく、それは神でも仏でも何者でもなかった。像はかつてここを歩いた誰か、あるいは未来、ここに立つ誰かの姿の仮象なのだろう。きっと今ここに立って海を見ている私自身の姿さえ、その内側に宿しているに違いなかった。

異化される現代美術と、異郷としての国東

ひとまず像を離れて、そのすぐ裏手にある五辻不動尊へ。ここは岩場を背にへばりつくようにして立つ、断崖絶壁の寺院である。そこで今熊住職に護摩焚きを行っていただく。さっきまでは作務衣で気さくであった住職も、袈裟を着込むとまるで別人のように見える。

それでは、と住職がお経を唱え始め、護摩を火に放り込むと、山の頂に立つ寺院の中は、白く芳しい煙が立ちこめ、透き通った鈴の音と住職の心地よい念仏が響き渡り、寺は一層荘厳な雰囲気に包まれた。

護摩焚きを終えた住職に改めて像のことをたずねた。実はこの作品の設置に至るまでは、さまざまな問題があった[※4]と聞いていたからだ。最も大きな問題は、地元住民の意見対立である。

ガイドによると、計画が発表された直後から、一部の地元住人や修験者から設置の反対を求める声があがったという。反対派はもともと国東峯道(国東半島における修験道での順路)に含まれるこの聖地に裸像を置くことを快く思わず、撤去のための署名活動などを行っていたという。この点について今熊住職にたずねると、穏やかな口調で言った。

「ただまあ、仏教もそういうものだったのかもしれませんね。最初はなんだか分からないものだったのが、ここに入ってきて、長い時間をかけて受け入れられたという意味では……」

※4 ひとつは重さ629kgというこの巨大な鉄の塊をどのようにして山頂まで運ぶかという技術的な問題である。最初はヘリによる空輸が計画されたが危険と判断されて頓挫。最終的に、地元の椎茸業者と工務店が協力し、伝統的なワイヤーを使った運搬方法によって解決したという

神仏習合に始まり、来訪神の奇祭、そしてキリスト教など、これまであらゆる“異物”を受け入れてきた国東であっても、ことはそう簡単ではなかったらしい。しかし私はこのゴームリー像の前に立ったとき、不思議なものを見た。その作品の足元に、いくばくかのお賽銭らしきお金が置かれていたのだ。それは神仏でもないにも関わらず――私がたずねると、住職は言った。

「あれは日本人のいい習慣と言っていいんかどうか、分からないけども、人間の形をしたものを見ると、仏様に見えると。きっとそういう気持ちになる人もいるのかもしれません……」

不動尊を後にして改めて見ると、山の稜線に立つゴームリー像はなるほど神々しく、違和感もなく、その場に馴染んで見える。仮に現代美術作品と言われなければ、この地に置かれた数多くの神仏の、変わった像のひとつと見る人さえいることだろう。

しかしもちろん、それは自然と融和する熊野磨崖仏の朴訥とした美とは遠く、西洋的でコンセプチュアルな、洗練の美であることに疑いはない。私には、ゴームリーの作品や姿勢が少なくとも聖地を汚すことになるとは思えなかったが、反対派の人々の言い分も心情ももちろん理解できる。それはこの地に流れ込んだ、新しい美の形だった。ゆえにそれは異物であり、同時に、そこに置かれた意味があるに違いなかった。

再び「ANOTHER TIME XX」の前に立ち、像の視線を追って下界を見下ろすと、あらためてこの旅で巡ってきた国東の地形がよく見えた。六郷満山――海に囲まれた山脈と谷あいの村々、そして海から来る文化流入と混合。

ひょっとすれば、この像をめぐる地元の人々の軋轢は、古来ここで繰り広げられてきた、幾多の軋轢の繰り返しなのかもしれない。

そんなことを考えながら、この絶景を見つめていると、私の頭にはふと、奇妙な考えが浮かんだ。それはともすればここ国東が、日本列島の縮図ではないかということだ。

山河に恵まれた風土に、海から来訪する異文化。そして神仏含めた文化の習合と、独特の洗練。それは考えてみれば、日本列島がたどってきた歴史、そのものとさえ言えないだろうか。つまり国東は、我々が忘れたこの国の原型である。だからこそ、現代の我々の目に、国東は“異郷”のように映るのかもしれなかった。

(了)

クリエイターの紹介

佐藤健寿

写真家

世界各地の奇妙なものを対象に、博物学的・美学的視点から撮影・執筆。写真集『奇界遺産』(エクスナレッジ)は異例のベストセラーに。近著に『TRANSIT 美しき不思議な世界』(講談社)、『SATELLITE』(朝日新聞出版)など。TBS系「クレイジージャーニー」、NHK「ラジオアドベンチャー奇界遺産」など出演多数。
http://kikai.org/

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