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今月の詩

すいか、と、めろん

2018.08.02

詩/青海玻 瑠鯉

すいかの赤さ。
めろんの青さ。

2つの果物。
そして、1つの肉体。

私のすいかは、赤く熟れ、
いまにもはち切れんばかり。
私のめろんは、青く澄み、
いまかいまかと待つばかり。

*****

そっと一握り、腕に担がれて、
茎をさくりと切られて、
私のすいかとめろんは、
他所へ行った。

他所でどんなことをされたのか。
私の手元には、
カットされ、量られた、
すいか1パック、298円。
めろん1パック、398円。

「これは、私のすいかとめろん?」
「いや、違う。私のではない!」
「では、誰の?」

*****

私は、私のすいかとめろんを
追いかけた。

誰かが言う。
「もう遅い。遅すぎた。」

道の駅も農協も中央卸売市場も。
HONDAの軽トラックから
ISUZUの1トントラックまで。
どこまでも追いかけた。

たどり着いたのは、1軒の果物屋。

(私のすいかとめろんは??)

「そこの、すいかとめろんなら、
とうの昔に売れましたよ。」
「そうですか。」

*****

「やはり、遅すぎたのだ……。」

呆然となった私は、
ふらふらと帰るほかにない。

取り戻せないのだ。

きっと、私から、手放したのだ。
だから、もう、金輪際、追いかけまい。

*****

私のすいかとめろんは、
私から離れてしまった。

しかし、
私の手元には、真新しい、
すいか、と、めろん。

夏に光る、
2つの果物。
そして、1つの肉体。

選評/高橋源一郎

「すいか」と「めろん」である。「西瓜」でもなく「メロン」でもない。「りんご」ではなく「いちご」でもない。「みかん」でもなく「もも」でもない。ひらがなの「すいか」と「めろん」は、水分を大量に含んでずっしり重く、大きく、抱き抱えなければならない。それらは、いつか、割られて、切られて、食べられる。そうでなければ、誰も必要としなければそのまま棄てられる。そのようなものをわたしたちは持っている。というか、わたしたち自身がそうなのか。読んでいるうちに、心配になって、わたしは家族にこういった。「あの、おとうさんは、すいかでもめろんでないので、食べないで。いや、棄てないで」

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