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今月の詩

椅子の座り方

2017.12.01

詩/元ヤマサキ深ふゆ

おばあちゃんの顔を知りません
会ったことも ありません

私が生まれる ずっとずっと前
突然の病でお母さんのまま
突然に亡くなったと聞きました

私の癖は 椅子の上で かく胡坐
なんとなく楽で
お母さんには何度となく
注意されてきたけれど
気が付いたら、あ、また、つい

38年が経ちました
祖母の顔は相変わらず
ピントのぼやけた写真で見た限りのまま

ある日のこと
やっぱり胡坐をかいたまま
「いや、楽なんだよね」なんて
電話で話していた時に
おばあちゃんは椅子で正座をする癖があった

おばあちゃんの娘から初めて教わって

びっくり
というか
不思議
というか

だけど

「あんたもせめて正座にしなさい」

すっかりおばあちゃんになった母が笑う

会ったこと なくて
会いたい とかも
申し訳ないけど
よくわからなくて
ずっとずっと知らないままで

会いたくても会えない らしいことは
ずっと 教わり続けてきていたから
そういうものだと 思っていた、から

会いたい、とかの前に
そういうものだと 覚えたから
会いたい、とかの前に
会いたくても会えない人なんだと
分からないけど 呑み込んだから

会いたい、とか
会いたくない、とかの前に。

だから

いないひとだったのに

いつの間に

会う間もなく受け継いでいた
しかも、なんで、それ? というか
なんで、そこ? というか

見てもいないのに

だけど

受け継いでいたこと
会ったこともなくて
会いたくても会えない人の
見たこともない、少し妙な癖
それを

私が受け継いでいたこと

だから
なんだか
そういうご縁に

今日も胡坐でひとり 苦笑い

ひ孫の顔は見せられないから
これで勘弁してね
おばあちゃん

選評/高橋源一郎

いない人たち

ざっと十年前、洗面所で三歳の息子に歯を磨かせていたら、目の前に鏡に、ずっと前に亡くなった父親が映っていて、ギョッとした。もちろん、それは幽霊ではなく、いつの間にか父親と同じ顔になっていた自分だったのだ。その父親は祖父に瓜二つで、そういえば、祖母や叔母たちが「あんたは、お祖父さんにそっくりや」といっていたっけ。父も祖父も、それからそのことを伝えてくれた女たちも、この世にはもういない。この詩を読んでいると「いない人たち」のことを考える。我々もやがてその人たちの仲間入りをすることになるのだが。

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