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Now, Then!

【短期新連載】地図のない道 / Art Traveler

2019.07.08

文/深井佐和子

インディペンデント・キュレーターで、二人の子ども(6歳と1歳)をもつ深井佐和子さんが、現在開催中の世界のアートが集まるヴェネツィア・ビエンナーレを旅した短期連載がスタート。人はなぜ旅をするのか、なぜアートを見るのか。異国の地を歩きながら、そしてアートを見ながら考えたことを綴ります。

Vol.1 それぞれの巡礼 ーヴェネツィア・ビエンナーレー

 都市での生活は、加速度的に忙しくなっている。常にスマホはSNSのアラートが鳴りっぱなし。慌ただしく電車に飛び乗り、気づけばブラウザばかり見て1日が終わる。だからこそ、誰もが旅に出る。NYなど大都市に飛ぶ人も、モンゴルの砂漠や伊勢神宮、屋久島杉を見に行く人もいる。人それぞれの地に向かい、たどり着くことで、自分を見つめなおす。都市に生きる術として、今、人はその人自身の巡礼の旅に出るようになった。

 ヴェネツィア・ビエンナーレ(Biennale di Venezia)はイタリア・ヴェネツィアの地で2年に1度開催される国際美術展覧会だ。1895年から続き、期間中50万人以上が訪れる世界最大のアート・イベント。世界一美しい街を舞台に、世界トップのキュレーションによって選ばれる最前線のアート作品の数々。それを浴びるように見る。正解はなく、自由に、堂々と、好きなように見て構わない、その解放感。アートは面白い、アートは楽しい。自分の日常とかけ離れた場所でアートを見て旅をする、その痛快さ。私にとってヴェネツィア・ビエンナーレは、それを心の底から思い出すことができる、特別な巡礼地なのである。

 5月26日、羽田発の深夜便でヴェネツィアへ向けて出発。ウィーンで乗り継いでまずはミラノ空港に降り立つ。そこから今度は特急列車。ミラノから続く田園や郊外の凡庸な風景の後、橋を抜けるとようやく美しい街が見える。サンタ・ルチア駅に着くと土砂降りの雨。娘を抱いたままヴァポレット(水上バス)乗り場まで走り、ずぶ濡れになる。気温は15度と寒い。灰色のカナル・グランデを進む船も大きく揺れている。パラッツォ・グラッシ近くの船着場で降りると、青年が傘をさして走ってきた。ヴェネツィア育ちだというその彼からアパートの鍵を受け取る。イタリア特有の石造りの集合住宅のエントランスはひんやりして、子ども達が風邪を引きませんようにと祈る。ミラノ駅のデリで買ったサラダと小さな赤ワインで簡単な夕飯。自宅を出てから24時間後、冷たい雨が降る中、ようやくベッドで眠りにつく。

 ヴェネツィアの街で、朝早くに窓を開ける瞬間の喜びをなんと表せばよいのだろう。古いアパートの木製の雨戸を開けると、朝の風がふわっと吹いて、顔に柔らかくあたる。路地が細いため、手が届きそうなほどすぐそこに向かいの窓があり、見下ろせば石畳が朝露で濡れている。明け方の道は無人で、街はまだとても静か。7時頃になると、街中に荷物を運ぶ屈強な男たちの大きな声がそこかしこから聞こえてくる。バッカロと呼ばれるバールが次々に椅子を外に出し、開店の準備をする。ヴェネツィアの1日が始まる。

 

 朝は道すがらのバッカロで、マッキアートと、トラメッツィーノという小さなサンドイッチを食べて、ヴァポレットで目的地に向かう。ジャルディーニ駅に到着すると、今年のビエンナーレのテーマ「May You Live In Interesting Times(数奇な時代を生きられますように)」と掲げられた看板があった。公園を抜け、前が見えないほど濃い霧の中に(これもLara Favarettoによるインスタレーション作品)「la Biennale」と大きく書かれた白亜の館がそびえ立つ。ヴェネツィア・ビエンナーレのメイン会場。しばし立ち止まってその文字を見上げる。海を越え、霧を抜け、やっと再びこの場所にたどり着いた、と思う。

 

 ローズマリー・トロッケルの新作、ジョン・ラフマン、ヒト・シュタイエルの新作映像。数年前にパレ・ド・トーキョーで見た1987年生まれのエイヴリー・シンガーによる、3Dモデリングデータを元にしたペインティング。クリスチャン・マークレー、エド・アトキンス……最高のアーティストたちが生み出した新作を次々と見て回る。日本で見られる可能性はとても低いし、アートフェアやギャラリーで販売・再現されない作品も数多い。ここでしか見られない貴重な作品をしっかり見ておこうと時間をかけてゆっくりと会場を歩く。メイン会場が終わったら公園内の国別パビリオンを巡る。フィンランド館は木のファサードが柔らかく美しく、こんな家に住みたいといつも夢想する。スイス館では「Moving Backwards」というLGBTQのダンサーたちが靴を逆さまに履いて踊る映像作品を見る。「我々は政府を代表してなどいない。後ろ向きに歩むことが前進となる、その戦術を取り戻し、今こそ自由を獲得するときだ」という掲示されたステートメントを読む。「今こそ自由を獲得するとき」。その文章が頭の後ろのほうにいつまでも残る。

  今年のビエンナーレは良くも悪くもバランスが取れている、というのが感想。凡庸だとか様々な意見があるようだけれど、私という1人の個人が感じている世界の現在形の肌触りについては網羅されているように感じた。フェイクニュース、ハイブリッドなナショナリティ、一昔前ならまとめて「差別」「貧困」「移民」などの単語で語られた数々の社会問題は2年前より、4年前よりも、どんどん高解像度で多層的になり、一方で溶解して気化してすらいる。その形のない世界のエネルギーをアーティストはそれぞれに交信し、形にし、そして預言する。我々鑑賞者は、私たちが自ら創造して、そしてそのなかで暮らしている世界の想像を絶する複雑さを、深い霧を入り口に、一つ一つ丁寧に作品を通して見つめていく。楽しいかと言われると一言では言えないのだが、その苦しさや複雑さも含めて、世界を見つめる作業という気がするのだ。

ローズマリー・トロッケル
ジョン・ラフマン
スン・ユアン&ペン・ユー
フリーダ・オルパボ
フィンランド館
スイス館

 もうひとつの会場、アルセナールを歩きながら、ここに来ることが、自分にとってどんな巡礼を意味するのかをぼんやりと考える。造船所だったアルセナールには人工の湾のようなものがあり、そこに座ると対岸に巨大な船の格納庫跡が見える。そこにたどり着く頃は決まって夕暮れ近くで、夕日が赤茶色の壁を照らし、水面がキラキラと光るのを、座ってぼんやりと見つめていると必ずクローズの時間になり、さあ今夜はどこでワインを飲もうかと考えながら、立ち上がって海に背を向ける。2年前も同じように、ここで海を見た。

 おそらく私はこの場所で、世界の現在形、その手触りを直接確かめようとしているんだと思う。今世界はどのような場所なのか。SNSのアラートが鳴り響く中、埋没していく世界像。それを見失ったと思うとき、言いようのない不安にかられるけれども、この場所で、何かを自由に想像し、そして創造するアーティストの尽きることのないエネルギーに身体を包まれると、不思議な力が湧いてくる気がするのだ。全く気のせいなのかもしれない。でも電車と飛行機に丸一日揺られながらここまでたどり着く価値があると感じさせるもの、それはことばにできない、希望のような人間の力なのだと思う。
 会場のカフェが店じまいを始める。さあ、街に戻ろう。今夜はどこでワインを飲もうか。会場を一歩出れば、そこには世界中からその美しさに人々が集う魅惑の都市、ヴェネツィアの夜が待っている。

次回に続く。

クリエイターの紹介

深井佐和子

ライター/編集者/キュレーター

1981年東京生まれ。上智大学文学部卒業。現代写真ギャラリー、アートブックの出版社にて10年勤務した後独立。2014年から4年に渡るロンドン、アムステルダムでの生活を経て現在は東京を拠点にアートプロジェクト・マネジメントを行う他、翻訳、編集などを行う。

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