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Now, Then!

【新連載】見る猿、聞く猿、言う猿 Vol.1 尾崎世界観 × 荒木悠

2019.06.10

写真/当山礼子 文/上條桂子 ヘア&メイク/谷本 慧

「伝える、ということ」

ギャラリーや美術館によく足を運ぶというクリープハイプの尾崎世界観さんから見た現代美術とは? 第一回は、資生堂ギャラリーで開催中の個展「荒木悠展:LE SOUVENIR DU JAPON ニッポンノミヤゲ」を鑑賞後、映像作家の荒木悠さんと対談をしていただきました。尾崎さんと荒木さんは同世代。手法は違えど「伝える」ということに日々心を砕く二人のダイアローグ。

外国人が見た日本、日本人が見た日本 複数のまなざしが交錯する作品

──まずは荒木さんに作品の概要をお聞きしたいと思います。この作品は、資生堂ギャラリー創設100周年というお題から始まったそうですが。

荒木 はい。作品をつくるにあたり、まずは資生堂の歴史を調べるところから始めました。資料を見ていくうちに明治時代が気になってきて。資生堂ギャラリーができる前の時代です。その時代の文献をリサーチしていたときに、一冊の本に出合いました。ピエール・ロティの『秋の日本』です。これは、フランス人海軍将校のロティが1885年(明治18)に日本を訪れたときのことを記した紀行文で、これが展覧会のベースになっています。

最初に入った空間の映像作品は、『秋の日本』の中の「江戸の舞踏会」という章と芥川龍之介の短編小説「舞踏会」を参照しています。前者は、ロティが鹿鳴館で開催された舞踏会に参加し、日本人女性とダンスを踊る様子が描かれているものです。後者はロティの文章から着想を得て書かれたもので、主人公の明子がフランス人の海軍将校とダンスを踊るという物語です。逆の視点から書かれた2つの文章を背景に、交錯するまなざし、そしてドキュメンタリー(ロティ作品)とフィクション(芥川作品)の関係が映し出されます。天吊り映像の片面は明子の視点、反対側はロティの視点でiPhoneを使ってお互いを撮影し合っていて、壁面映像は視点の違う3種類の映像が投影されています。

《The Last Ball》2019 映像。ロティ(男性)と明子(女性)は互いにiPhoneをかざし合い、お互いのカメラに写らないように逃げている。その様が即興のダンスを踊っているように見える。

尾崎 なるほど、面白いですね。踊る二人を追いかけながら、撮影しているカメラマンの方もステップを踏んでいるように見えました。

荒木 そうなんです。撮影している途中それに気づいて、もう一人のカメラマンの春木康輔さんに撮影監督の根岸憲一さんを撮影してくださいってお願いして。本人には内緒で撮影しました。

時を隔てた映像とテキストが表出する一致とズレ

──奥の3面の映像作品とオブジェについても教えてもらっていいですか?

荒木 映像作品は、同じロティの本に出てくる「聖なる都・京都」「日光霊山」「江戸」の章から引用した文章です。彼が行ったとされる場所に僕も赴いて、現代の様子を撮影しています。現代の映像と昔のテキストを重ねることで、ズレと一致するところを表出させようとしています。

《戯訳「聖なる都・京都」》2019 映像

尾崎 すごく面白かったです。映像と文章の辻褄が合っていない所も多いけれど、たまに強くリンクする瞬間があって、そのでこぼこした感触が愛おしいです。ある部分では皮肉を言っているようにも聞こえるし、そこも何かの暗示なのかなと深読みしてしまいます。時代もズレているのに、なぜか刺さってくる瞬間やドキッとするような言葉がありますね。

荒木 ありがとうございます。作品って作者よりも雄弁だったりしますよね。作家の言葉ってひとつの解釈でしかないなと、作品をつくるときいつも感じます。だからそれに縛られちゃうのももったいないと思いますよね。今回の展示は、資生堂ギャラリー100周年というのが中心にあって、もちろん過去100年のことを考えるんですけど、100年先にも向けてつくったつもりです。今の時点でも滑稽な描写なんですが、100年先の人はどう見るのかなと。

尾崎 もしかしたら100年前と同じような感覚が戻ってくるかもしれないですね。

荒木 展覧会のタイトルにある「SOUVENIR」って英語だと「土産」ですよね。フランス語だと、「〜を思い出す」とか「記憶」っていう意味もあるみたいです。僕から未来へのお土産、といった感じなのかもしれません。

尾崎 映像を見ながら不思議な気持ちになりました。普段は日本にいる外国人観光客を見ると、来てくれてありがたいと思うんですけど、実際に彼らが何を考えているかなんてわかりませんよね。もしかしたらものすごく変な国だと思っているかもしれない。そんな外国人目線のテキストを日本人である荒木さんが撮影していて、その映像の中に外国人観光客と談笑する日本人の姿が映っていたりして。でも、よく考えたら同じ日本人同士でもわかり合えているか自信が持てない中で、改めて人との交わりを深く考えさせられます。

右は資生堂初代社長福原信三が小泉八雲邸を撮影した写真《ヘルン旧居》(『松江百景』より)。関連するオブジェとして《Product Placement Ⅰ(階段箪笥)》を展示した。ギャラリーの階段と写真の階段と小泉八雲の『怪談』、そしてダンスと箪笥などの言葉遊びが潜む。

──構造が面白いですよね。ロティという外国から来た人が日本を見て書いた文章があって、100年以上後に日本人の荒木さんがその文章を読んで映像を撮りに行く。撮影された映像を日本人である尾崎さんが見て、映像の中の日本人と外国人のやりとりを見る。そんな感じでどんどん入れ子状になるような。

尾崎 文章をずっと見ながら、日本や人間って何なんだろうと思っていたら、映像が終わって暗くなった画面に自分が映っているのが見えて、それがすごくバカっぽく見えて(笑)。あの暗くなった画面にこそ意味がある気がしましたね。

荒木 全然そんなふうに意図していませんでした(笑)。すごく嬉しい感想ですね。鏡のように跳ね返ってくるというか。銀座とかを歩いていると、みんな自撮り棒を持って、何を撮っているんだろうって思いますよね。

尾崎 そんなものを撮って何になるんだろうと思うんですけど、向こうも日本ってバカだなと思いながら撮っているのかもしれないですよね。もしそうであれば、その関係はすごく面白いと思います。

荒木 そういう意味では、僕は作品の消費のされ方にも興味があって。展覧会場に足を運んで、作品を撮影して、Instagramにアップしてっていう。このサイクルをいかに逆手に取れるかなと。今回の僕の作品で、特にダンスを踊っている映像作品では、出演者たちがすでにお互いをiPhoneで撮り合っていて、そこに鑑賞者がiPhoneをかざした瞬間に参加者になる。それがさらにSNSにアップされて……。

尾崎 そういうのを見ると、勝った! と思いますか?

荒木 どうなんでしょうね。盛大にボケている作品なので、そういう形でお客さんにつっこんでもらえると嬉しいというか。また、撮ることの欲望ってなんなんだろうなと思いますね。何が人に撮らせるのか──そもそもレンズを向けるって暴力的な行為だと思うんです。それを含め今回はいいかたちで作品化できたかな、と。

伝わること、伝わらないこと

──尾崎さんは歌詞だけじゃなくて、小説も書かれていますが、ふたつのアウトプットの違いはありますか?

尾崎 歌詞が相手に届くのはもちろん嬉しいですが、メロディが補完してくれていることもあって、これで伝わってしまったと消化不良な部分もあります。もっと自分の中には言葉があるのに、そう思ったときに本を書くようになりました。だけど書いてみると、それはそれで伝わらない(笑)。でも、伝わらないということもすごく大事で。伝わり過ぎかと思って心配していたのに、やっぱり伝わっていないと落ち込んだり、しっかり書き過ぎてしまって逆に伝わらないと落ち込んだり。だから作品をつくっていけるんだと思います。

荒木 まったく同じです。一年かけてつくった作品と二日でつくった作品があって、二日でつくった作品のほうが受けちゃったりして。何なんだよ! と(笑)。

尾崎 それは単純にルーレットのようなものが回っていて、やっぱり一年かけていた作品がないと二日の作品の価値もなくなるだろうし、そういうなことがないとやってられないんだと思います。落ち込みますけど(笑)。一年かけてつくった作品がなければ、落ち込むという体験もないわけですから。

荒木 あと、一個つくるとそのなかに課題が見えてきて。もちろん100%満足はいかないので、それを次の作品で解消していこうとすると、また新たな課題が見つかって。そうやってどんどんいくと、一生じゃ時間が足りな過ぎるなと思います。歌詞も書かれて本も出版されるっていうのは素晴らしいなと思っています。いろいろなアウトプットがあって。自分の何かを解消されているというか。

──尾崎さんの小説『祐介』などを読んでいると、視覚だけじゃなくて匂いや感情といったともへの観察眼の鋭さ、細かさに驚かされます。荒木さんの映像も観察をするような部分があるのではと。

尾崎 敏感なんです。自分でも嫌なんですけど。でも、それがないと作品がつくれないので。荒木さんは人の行動とか気になったりしませんか?

荒木 あー、めちゃくちゃ気になりますね(笑)。見ることはすごく好きで、カメラなんてなければいいのにといつも思います。邪魔でしかないんですよ。一番いい瞬間って、実は撮れないんですよね。

尾崎 撮ろうと思った瞬間に、もうなくなっているんですよね。

荒木 制作の際は、それでも一番素に近い状態を引き出すにはどうすればいいんだろうってあれこれ試しています。演技経験のない友人知人に出演してもらったり、今回の作品ではプロの俳優を起用してはいますが、あるルールを設けて即興のパフォーマンスをしてもらうことで、カメラで撮られていることをほんの少しだけ忘れてもらうようにしてみたり。

尾崎 面白いですね。ルールをつくったときにそれに引っ張られて、カメラを忘れるということもあるんですね。

作品のタイトルは ショートケーキのいちごみたいなもの

荒木 尾崎さんって曲のタイトルとかっていつもどうやって決められているんですか? シンプルなものが多いような気がしていて。

尾崎 そうですね。実はあまりこだわってはいなくて、一番最後に決めています。頑張って曲をつくったご褒美くらいにとらえています。ショートケーキのいちごをのせるようなイメージです。できたと最後にのせる。最後にイチゴをのせるのは、それをつくった人の特権ですよね。

荒木 僕はいつも悩んでしまって。候補をずらーっと出して、なんか違う、と悩む。悩みに悩んで、最後にこれだっていうところに行きつくんですよ。でもたいていその候補の中には入っていなくて、いったん寝かせてみると後から全然関係ないのがパッと浮かぶというか。必要な回り道があるんです。

いちごっていう表現、面白いですね。抽象絵画でも、タイトルなんだろうって見ると「情熱」とか書いてあったりして。これ関係ないだろうー(笑)、とかってつっこみを入れたくなる。作品とタイトルのズレている関係とその振れ幅って面白い。

尾崎 やっぱりどんなに頑張っていてもズレる。荒木さんの展示を見て、改めて、それでいいんだと思いました。あまり受け手に期待し過ぎたり、お願いし過ぎるとつまらなくなってしまう。今は特にそうだと思うのですが、手軽に手に入る情報やモノはすぐに捨てられてしまう。だからこそ、ちゃんとこうしてギャラリーに足を運んで、どんな意味だろうと考えて。今の時代にこそ、こういう表現が伝わって欲しいです。

「荒木悠展:LE SOUVENIR DU JAPON ニッポンノミヤゲ」
会期:2019年4月3日(水)~6月23日(日) 入場無料
開館時間:平日11:00~19:00、日・祝11:00~18:00
定休日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合も休み)
住所:東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビルB1
TEL:03-3572-3901
詳しくはこちら→資生堂ギャラリー公式サイト

クリエイターの紹介

尾崎世界観

ミュージシャン

1984年生まれ。東京都出身。クリープハイプのヴォーカル、ギター。2012年にアルバム『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』でメジャーデビュー。2016年に半自伝的な内容を綴った初小説『祐介』(文藝春秋)、その後エッセイ集『苦汁100%』『苦汁200%』(文藝春秋)を刊行。『小説トリッパー』(朝日新聞出版)をはじめ雑誌などでも多数連載をもつ。文庫本『祐介・字慰』が2019年5月9日発売。5thアルバム『泣きたくなるほど嬉しい日々に』が発売中。
http://www.creephyp.com

荒木 悠

映像作家

1985年生まれ。山形県出身。2007年にワシントン大学サム・フォックス視覚芸術学部美術学科彫刻専攻卒業。2010年に東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修士課程修了。これまでアジアや欧米各地に滞在し、映像作品を制作。2013年スペイン・サンタンデールのボティン財団主催タシタ・ディーン・ワークショップに参加。2017-8年ゲスト・レジデントとして韓国・光州の国立アジア文化殿堂およびオランダ・アムステルダムのライクスアカデミーに滞在。2018年ロッテルダム国際映画祭でTiger Awardを受賞、2019年にキエフのピンチューク・アートセンターで開催されたFuture Generation Art Prizeの最終候補となる。
http://yuaraki.com

谷本 慧

ヘア&メイクアップ アーティスト

1986年生まれ。大阪出身。大阪の店舗を経て、上京後、原宿BRIDGEに7年間所属。2019年CITY LIGHTS A.I.R.に参加。サロンワークを軸に、広告、雑誌、TV、MV、CDジャケット等、音楽を中心としたヘアメイクを担当。
https://www.instagram.com/3104_tanimoto/

当山礼子

写真家

沖縄県出身。2014年から雑誌、webなどで活動中。

上條桂子

ライター/編集者

雑誌でカルチャー、デザイン、アートについて編集執筆。展覧会の図録や書籍の編集も多く手がける。武蔵野美術大学非常勤講師。著書に『玩具とデザイン』(青幻舎)。

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