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特別対談、中里周子×山崎まどか「これからのアート、フェミニズムの行方」<後編>

2017.12.28

写真/三宅 英正

エレガンスに、ぬけ感の美

(前半からつづく)
中里 東京藝大の修士課程の卒業作品は、エビ型のジュエリーをつくりました。このエビ、1m80cmくらいあります。目玉がのびて前方のマネキンの耳にはまってイヤリングになるという、エビ型の巨大ジュエリー。これは黒目にくすだまがついていて、ぱかって開いて「おめでとう!」という垂れ幕が出てくるんですけど、すぐ壊れちゃうんですよ。手掛けてくださった美術の方が近藤さんとおっしゃるおじさまなんですけど、近藤さんがいてくれると必ず動くんですけどね、近藤さんが帰ると必ず動かなくなっちゃう。近藤さんの愛らしいところです。
山崎 近藤さんの力で動いてるみたいな(笑)。
中里 そうなんです。近藤さんが毎日メンテナンスにいらしてくださるんですよ。その間も普通にお客さまがいらっしゃるから、私はこれを近藤さん含めての作品だと思っています。
山崎 近藤さんもジュエリーの一部(笑)。
中里 (笑)。すごく不思議な、めちゃくちゃ愛着のある作品です。これもジュエリーです。
山崎 いいですよね。これが中里さんの中でアートではなくてちゃんと“ジュエリー”としての作品となっていることが素晴らしいと思うんですよ。
中里 ははは。ありがとうございます。でも藝大で発表したときに、これを「精巧なエビの彫刻」と言われると、確かにそういう一面もありますが、いえいえ違うんですよ、これはエビの形をした大きなジュエリーです、って毎度説明しなくちゃならないんですよね。人がこの前に立つとインタラクティブな関係性でここにジュエリーがつきますって。これがぴぴぴーっとのびて、パシッと耳たぶにはまるという。そういうところがすごく大事なんです。そういった“ぬけ感”みたいなところに、エレガンスが宿ると思うんです。
山崎 それをぬけ感って呼ぶのが面白い。
中里 もっと言うとぬけ感ということばに自分の考えのすべてが集約されている気がします。
山崎 ぬけ感って“エフォートレス”みたいなことですよね?
中里 そうです、そうです、エフォートレス。
山崎 でもエフォートレスといって一般的に思い浮かべることと、このエビのジュエリーはすごくかけ離れているじゃないですか。
中里 そうですね、確かに。
山崎 でもそこが面白いと思うし、やはり“ファッション”であるということがすごくつながりがあるっていう。そこから無理やり『花椿』の話にあてはめると、私がリアルタイムで読んでいたときの『花椿』は本当にアーティスティックな作品が、ものすごく多かった。でも根本はアート雑誌ではないんですよね、『花椿』って。そこが面白いところで、やはり根本はファッションとお化粧の雑誌。それは読者に一番身近だということで、雑誌は雑誌というメディア自体もそうですが、ファッションや商業が人と無関係ではいられないということなんだと思うんです。それはデザインもそうだし建築もそう、すべてそう言えるのですが。所有という概念、要するに自分が欲しい、自分で買う。そういうところにものすごく商業的な側面があって、そこから世界の成り立ちの中で大きな存在を占めるマーケットが生まれる。それがファッションだと言われると、すごく腑に落ちる気がする。ただ、それを所有するのはなかなか難しい。
中里 そうですね。
山崎 でも中里さんとしては関係性を所有することはできると思いますか?
中里 できると思います。個人的にはこの作品は最終的に、エビにストラップがついてお土産ショップで売られることが大事な気がしています。そこまで含めて、その所有のかたちと言えるのではと。
山崎 このエビを見て、気に入ったらそれはストラップでも買えるという。
中里 もう全然それでいいと思っています。ずれた見方かもしれませんが、そこにアートの面白みが、そしてミュージアムグッズの可能性がすごくあると思います。
山崎 わかります。
中里 ありますよね?
山崎 あります、あります。本当、ここ1年ぐらいのミュージアムグッズがすごく面白くて。今年開催された「バベルの塔」展でカプセルトイが登場したのですが、こういうのがアートの可能性をすごく広げたなと。アートの一部がそこに、ピンバッジというかたちで出てきた。それは人によってはダサかったりするしアホらしいし、美じゃないんじゃないかとか、アートに対する冒涜じゃないかという言い方もあるけど、つながりとしてすごくある。
中里 すごく面白いと思います。
山崎 で、かつその場に行かないと手に入らないという体験的な面白みもありますし。
中里 そうですね。その面白いと思うのも何でもファイルにしちゃうみたいな感じも。
山崎 はいはい、ファイルね、わかります。
中里 どんな名作でも最終的には個人的なものを入れるファイルになっちゃうっていう、その相反しているのに、やっぱり最終的に人が「あ、ちょっと買ってみようかな」とか個人のところに入っていくようなシステムが非常に面白いなと思った。
山崎 わかります。さっきのエレガンスということと、ミュージアムグッズというのを結び付けていくと、もうこの30年か40年ぐらい変わらずにモネの絵の傘とかスカーフってあるじゃないですか、どこのミュージアムにも。世界中のお母さんが買うやつ。あれエレガンスですよね。
中里 や、素晴らしいと思います。絶対、“売る”という。だからこれも最終的にエビがストラップやピンバッジになってる、ピンズみたいな、そこの面白みが最終的にファッションとしても転化できるかもしれないなと気づいてきました。
山崎 なるほど、面白い。でもそれを思うとファッションとして、マーケットも考えているし、ショーとしての見せ方も考えているし、中里さんのやっていることはすごくある種ファッションとしてはオーソドックスな方法なんだけど、昔とは全然違う感じがするじゃないですか。要するにパリコレみたいなところを頂点としてオートクチュールをつくって、というファッションの従来的なあり方や、逆に言うと大量生産でいろんな人に着てもらうとか、そういう商業のあり方とも全部違う感じがする。それが面白いなと思って。そういうところに可能性と新しさがあるのかなととても思いました。
中里 ありがとうございます。もちろんファッションが最重要事項なのですが、大事なのはツールなんですよね。エレガンスのニュータイプの提案を、ある意味で最もライトに、しかもポジティブにできる技が実はファッションの中にあって、そこに可能性が見えるんです。必然性もあるけど、そういうことでいつもファッションに行き着くんです。
山崎 それは今だからできるという気持ちはありますか? 今ってなかなかむずかしい時代で、女性だから自由な発想ができると言うとすごい怒られるんですよ。でも中里さんはそういうことに捉われない部分があるのかなと思ったんですけど、いかがですか?
中里 そうですね、やはり自分たちの表現ツールとしてインターネットを経ているというのはすごく大きいですよね。それが幼少期に経験としてすごくあったり、私たちの世代の場合はプリクラなんかも挙げられます。
山崎 ああ、なるほど。
中里 プリクラやデジタルガジェットの取り入れ方とか、ネットカルチャーに非常に近しいところでの発信の仕方とか、世界観の繋がり方の影響はすごくある気がします。ですが、「インターネット世代」みたいに表面的にまとめられることには嫌悪感があります。たとえば合成を「フォトショップ的なパースペクティブ」と言われるとちょっと……。その感じもわかるのですが。そういう単純なインターネットカルチャーに回収されない、恐らく個人の美学みたいなものをもっている若者もいることをすごく感じますね。
山崎 なるほど。インターネット世代ということばは本当にいい加減というか、ある時代から皆使ってるしね、世代に関係なく。
中里 そうなんです。たとえば10年、20年前だったら、シンクロドッグスと友達になる可能性はそもそもほとんどないわけなので、そういう意味では非常に自由なコミュニティづくりはできてるんじゃないかと思いますね。
山崎 この前「早稲田文学」という老舗の文芸雑誌が書き手も女性で編集も女性という「女性号」を増刊号で出したときに話として出て来たんですけど、やはりある時期まではいろいろな分野で、女の人は力のある男の人が引き上げてくれないと地位を築けない、そういうところがどうしてもあったんだ、と。でも、今はインターネットがあるからという言い方はちょっと違って、インターネットを普通に使っている世代がそういうことは関係ないと思い始めたというのが大きいと思うんですけど、そういうところでは自由になったと感じますか?
中里 そうですね、それは結構あるかもしれません。それとセクシャリティに関しては、個人的にはかなりボーダーレスな感じはあります。

“フェミニズム的なアート”の先入観

山崎 わかります。ちょっと前までだとこういうセクシャリティ、ゲイであるとかいう言われ方をしたけど、今はもっと流動的というか。
中里 ちょっとスライムとかアメーバみたいなイメージかも。たとえばファッション誌をめくってみても基本的なセクシャリティの表現で、マスキュリンな女性像だとこういうジャケット着て……みたいな描写は必ずあるんですよね。それはヨーロッパの美的な女性観に強く根付いていると思うんですけど、もっとそうではなくて、人間がもっとネバネバしている質感というか。
山崎 男性的女性的、ではなくてもっとよくわからないものになってきてる感じですか?
中里 そうですね。その感じを表現すると、貝の中身のような……。ブニブニの人間観みたいな。そういう段階に人間が進んでいるのかなと思ったときに、マシュー・バーニーの作品を改めて見たんですよ。彼はそれを今よりもずっと前に表現していて、「早いな!」と思いました。彼の特徴として、個人的に思うのは精巧につくられた男性的な表現ではないかという気がしていて。精巧なバランス感覚と言いますか。
山崎 きちんとつくられているところがありますよね。
中里 できてる気がしますよね。それはやはりトランスヒューマン、ポストヒューマンと言われるようなものだと思うんですけど、そこに今すごく共感しています。人間を超えた人間の質感の表現、がすごく気になるんです。もう一人、最近すごく感銘を受けたアーティストで、ミカ・ロッテンバーグという方がいるんですけど、その作品は多分女性だからできるんじゃないかと思うんです。
山崎 それはどのような作品ですか?
中里 映像作品で、爪をパチパチパチパチってやってるシーンがあるんですが、ネイルにピンクやヤシの木のペイントが施してあって、ちょっと愛着感があるんですよね。ちょっとしたところに「あっ」というポイントがあったんです。
山崎 小さなかわいらしさや愛らしさというか、自分がこれをしたいみたいな。
中里 そういうものが、本来の女性的というのかわからないんですが、非常にわかったような気がした。面白いなと思いましたね。
山崎 それも私は問題だと思うんですけど、うっかりすると「かわいい」という言葉に集約されがちなところですよね。でもそれももう古いかなという感じもありますよね。でも愛着とか、その「キュン」とする感じというのは未だにみんなすごくもってるし、その「キュン」というのは女の人だけの特権だとは思わないけど、女の人の文化にやっぱり繋がっているものではあるなと思います。
中里 そうですね。たとえば、何でも取っ手つけて持っていきたいみたいな感じ、ありますよね?そういう小さい女の子がもっている原初的なもの、箱庭的な感覚。
山崎 わかります。ケイト・スペードも。
中里 ケイト・スペードすごいですよね。
山崎 エキセントリックなバッグを提案していますよね、毎シーズン。今季はマトリョーシカで。指輪とかマトリョーシカがぱかっと開いたりして。
中里 ギミックが凝っている。
山崎 ギミックが細かいけど、ああいうことは本当に何でも取っ手をつけたらバッグになって面白いんじゃないかとか、これが好きだとか、そういう感じに小さい世界があるというのが、やっぱりファッション的だなと思いましたね。
中里 そうですね。すごい共感します。ポーリーポケット。
山崎 何でも斜め掛けのポシェットにしてみる、みたいな(笑)。
中里 小バッグも持ちたいみたいな(笑)。
山崎 そういうことを考えると幼少期にファニーな動物の顔のバッグをみんなが持っていたというのが原体験になっている。それが所有するとか愛着というかたち、そしてそれがさらに大きな世界とのつながり方になっていくじゃないですか。本当に今女性的ということばを使うのがむずかしい時代ででもあって、そういうことが女性というものを象徴するものなのかと問われるところではあるけれど、今まで積み重ねてきた女の人の文化であることは間違いないと思うんですよね。それはすごく小さいところに集約するんじゃなくて、大きい可能性に、大きい世界に向かっていく。世界に合わせて所有するものをつくるんじゃなくて、所有している好きなものに合わせて世界をつくろうという、中里さんがやっていることというのはそういうことなのかなと。
中里 そうですね。フェミニズムといえば、個人的な体験としては、たとえば何かをつくったときにフェミニズム的なアートの文脈に分類されていくという機会がすごく多くて、たまに嫌な気持ちになります。
山崎 そうですよね。
中里 すごく多いんですよ。たとえばジップロックを女性の頭にかぶせた作品もフェミニズムの暗喩のように解釈される。
山崎 なんか抑圧された女性性、とかざっくりと表される。
中里 そうそうそう。この作品に関してはそういう風に見られることが多かったんですけど、自身、そういうことはまったく意図していない。焦点は苦しそうな女性のモデルではなくて、空いているジップロックを被るということなのですが……。つまり本当に息ができなくなるように真空パックするのではなく、あくまでも“息ができなくなっている風”にすることが大切で。ほかにもストッキング素材や刺繍などを用いたアート作品も、所謂フェミニズムアートを代表する例として教科書で紹介されていることが多いですよね。そういう括りに違和感を覚えることがあります。個人的には、もっと軽やかにしていきたいなと思います。そこではない、突きぬけたぬけ感や美が、まったく別方向からポーンと出てくるような爽快感がすごく大事なんです。
山崎 フェミニズムとはこういうものだ、みたいな偏見があるからそういう風にすぐにこのアートが抑圧された女性性ですねっていう話になっちゃうというのはすごくあると思うんですよ。そこって、さっき言った女性的ってこういうことですよねっていうのと本当に表裏一体と言いますか、要するに決めつけで、女の人が自由になりたいと思うときってそういうものから自由になりたいって思う、かつ、「これはカワイイってことに関する哲学ですね」とか収まりのいいことば、キャッチフレーズで集約しようとするものから零れ落ちるものを、私自身もそうですけど、おそらく皆が表現したいと思っている。
中里 そうかもしれないです。活動を始めて5年ぐらいですけど、少しずつ環境が変わってきたという要因もありますが、セクシャルなものに対するアウトプットがとても変わってきたという実感があります。その変化をインスタグラムで指一本で見れちゃうという状況がすさまじいですよね。面白い。

SNSでつながることの価値

山崎 インスタ派ですか? 基本的には。
中里 そうですね。私はフェイスブックがふたつとインスタグラム、ツイッター、ブログの5つのメディアを使い分けています。たまに視覚情報に惑わされるのに疲れて言語化された世界に没入できるツイッターに浸るときもありますが、主軸はインスタグラムかもしれません。作品に登場してもらうモデルを探すときも、「日本にいますか?」とメッセージを送るところから始まって出演してもらったり、急遽LAからフィルムディレクターの友達が来たときにも、じゃあこれから一緒に作品をつくろうかとなったり、インスタグラムで偶発的にコミュニティが広がっていく感覚は面白いですよね。
山崎 そういう関係性がもっともっと可視化されるといいなと思いますよね。こういう風に人が知り合って、こういう風に作品が生まれるってことがわかると、下の世代はもっとやりやすいのでは。
中里 そうですね。今の10代くらいには響きそうです。少し上の20代前半の子たちはまた違う感覚なのかなとも肌感覚で思いますが、世代というくくりはあまり関係ないですね。
山崎 時代のほうが関係あるかもね。
中里 そうですね。時代性はありますね。
山崎 おそらく人との付き合いも、同世代というのではなくていろいろな世代の人たちと同じ時代を共有しているという感じかな。
中里 それと大事なのは美意識。美的な価値観を共有できるかどうかということがすごく大事で。それは同じファッション・デザイナーにだけいうのではなく、たとえば数学者の方や言語学者の方なども美や世界に対する捉え方がすごく抽象的なレベルで実は近いとか、そういうことがあるのではないかなと思うんです。そういったつながりは大きいです。作品をつくるにしても生きるにしても、やはり一人じゃできないんですよね。これはできないなと思ったときに、なぜできないんだろうと考えるのではなく、できる人を探すという、ポジティブな変換ってすごく大事。漫画『ワンピース』のように仲間を探そう、一緒に船に乗ってその海に出ようよ、という感じなんですよね。それはどの時代でも同じだと思います。
山崎 もっと根本的な、自分一人ではできないから誰かを探すみたいな、先ほどからずっと言っている人と物との関わりとか、人と人との関わりにだんだん発展してくるような感覚が常にあるということ。
中里 それはすごく面白い。やはり私個人で言うと、人間というものにすごく興味があるんですよ。ファッションという表現を選んでいるところもそうだし、その意味で一緒につくっていく人たちの存在もすごく重要だと思いますね。それは男女や年齢も関係なく。
山崎 そうですね。中里さんが言っていることを受けて、『花椿』はそういう流れを捉えていく雑誌でもあると思うし、雑誌というものがそういうものを捉えていかないといけないなとも思いました。私は書き手としてもそういうことを知っていきたいし、そういう表現と関わっていきたいなと思います。今日はすごく面白かったです、どうもありがとうございました。
中里 ありがとうございました。

左から、中里周子さん、山崎まどかさん

登壇者プロフィール

山崎まどか(やまさき・まどか)
文筆家、翻訳家。1970年、東京生まれ。清泉女子大学卒業。本や映画、音楽などカルチャー全般、特に女子文化に精通。女性誌などでコラム連載・寄稿多数。著書に『乙女日和』、『イノセント・ガールズ』『女子とニューヨーク』『オリーブ少女ライフ』など。共著に『ヤング・アダルトU.S.A.』など。翻訳書に、『イー・イー・イー』『愛を返品した男』『ありがちな女じゃない』がある。
Twitter @romanticaugogo
Instagram https://www.instagram.com/madokayamasaki/

中里周子(なかざと・のりこ)
ファッション・デザイナー、アーティスト。2011年立教大学文学部文芸思想専修総代卒業。同年、「ここのがっこう」にてファションデザインを受講し、12年東京藝術大学大学院美術学部芸術学科美術教育専攻に入学。14年に卒業し現在は同学博士課程在籍中。14年、若手デザイナーの登竜門とされる欧州ITS(インターナショナル・タレント・サポート)にて、日本人初のジュエリー部門グランプリとなるスワロフスキーアワードを受賞。15年、平山郁夫文化芸術賞を受賞。現在はファッションブランド「NORIKONAKAZATO」、クリエイティブスタジオ「NEWPARADISE」を立ち上げ、幅広く活動している。
http://norikoniko.tumblr.com/

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