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偏愛!資生堂

第17回 奥村智代 × マキアージュ トゥルールージュ

2018.01.30

文/奥村智代

ここは福井県 芦原(あわら)温泉
明治16年、芦の生える原っぱに温泉が涌いたのが、芦原温泉の始まりです。
温泉旅館「べにや」は、翌年の明治17年に創業しました。
それまで、隣町の三国町で廻船問屋 紅粉屋を営んでおり、ほお紅や口紅を取り扱うお化粧屋であったそうです。北前船が着き花街として栄えた三国の町での紅粉屋「紅屋」は、女性をより美しくさせる商いであったことでしょう。
「べにや」が創業してから昭和に入り、戦争、そして昭和23年の福井地震、昭和31年には芦原大火と、数々の災害に遭います。一方、昭和40年代には温泉旅館の大型化が流行します。

そんな年月を経ても「べにや」が、数寄屋造りの佇まいを守った理由には、故石原裕次郎氏の影響がございました。かけ流しの温泉と数寄屋造りの佇まいをこよなく愛した裕次郎氏は、「べにやは建て替えないでくれよ!」「このままで!これを守ってくれよ!」とさいさんおっしゃったそうです。

筆 石原裕次郎氏 昭和57年 べにや於

風行草偃(ふうこうそうふ) 風ふかば 草ふせる
  一瞬の風のままに
  四季折々に移ろいゆく
  自然のままに
  草が身をゆだねるごとく
  たおやかに。
  風行草偃・・・。
  背伸びせずに、
  自然に逆らわず。

故石原裕次郎氏の言葉です。
どんな時代が来ても、自然に逆らうことなく、原点を忘れず、自分を見失うことなく生きることを教えて下さっているのでしょうか・・・。

芦原温泉には、今でもこの広大な土地で農業や畜産業などを営む生産者さんがたくさんいます。
「麻王伝兵衛」を運営する農家の麻王さんは、冬の越前蟹の殻を肥料として、夏に美味しいトマト「かにからとまと」を作ります。
山崎夫妻が営む「おけら牧場」では、吟味された安全な餌を食べて放し飼いで飼育される鶏や牛が、昔ながらの美味しい卵や牛乳を生みだしてくれます。
「きっちょんどん」を運営するお豆腐屋さんの林さんは、福井県産の大豆を使用して、おからの出ない豆腐を開発しました。
とみつ金時で有名な富津の「フィールドワークス」吉村さんは、さつまいも畑の横で、規格外の形のさつまいもを飼料に、家畜豚を飼い始めました。イノシシ対策になるそうです。
芦原の自然の中で、大勢の優秀な生産者さんに囲まれて「べにや」が成り立ちます。

私が「べにや」に嫁ぎ女将業に就き、24年が経ちました。
朝着物の袖に腕を通し、帯を締め、最後に口紅を差し、女将としての一日が始まります。今日のお客さまの顔を思い浮かべ、出かける場所やスケジュールを確認しながら、最後に口紅を差す時には気持ちが最高潮となります。最高潮にならなくてはいけません。
今、そんな私に落ち着きと華やかさを加えてくれるのが、資生堂の口紅「マキアージュ トゥルールージュ」でございます。

PHOTO/CHIHIRO TAGATA

発色の良さと、なめらかな塗り心地が、どんな時も華やかさと落ち着きを与えてくれる、私にとって欠かせないアイテムのひとつです。
母から女将に変身、そして「紅を差す」。いわば自分を搔き立てるような大切な瞬間でもあります。

廻船問屋「紅粉屋」から温泉旅館「べにや」へ。
自然と共に、時代の流れを感じとり、楽しく、心地よく、そして女としての「女将業」を全うしたいですね。いつまでも、いつまでも。

クリエイターの紹介

奥村智代

女将

芦原温泉べにや 女将。1968年、石川県粟津温泉 旅館「のとや」長女に生まれる。金沢女子短期大学卒業後、日本航空小松空港グランドスタッフとして4年間勤務。1993年芦原温泉「べにや」長男 隆司氏と結婚、女将業へ。二男二女の母。

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