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銀座時空散歩

ギンザのサヱグサとその妻 その2

2016.09.23

文/寺尾 紗穂

写真/大森 克己

與三郎とかね、サヱグサの前身「伊勢與」の初代二人が軌道にのせた商売はやがて日本の外へも拡がった。すでに2代目代三郎の時代になっていたが、1894年に朝鮮の仁川とハワイのホノルルに支店を開設したのだ。日清戦争が始まった年だ。戦争で潤った商売も戦争が終われば不況に見舞われた。京城に支店を出していたかねの兄鶴五郎の店亀屋も29年には引き揚げているが、伊勢與はこれを引き継いだというから、不況にも左右されない堅実な経営ぶりがうかがえる(松本良三『現実の彼方へ』大元社、1941年)。

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面白いことに、内田魯庵は群馬の四万温泉で一線を退いたあとの與三郎夫婦に遭遇しており、逗留中懇意になったことを昭和に入って書き残しているが、その中で女房かねの常磐津を褒める與三郎について描写して、感想を述べている。

其頃はマダ女房に叱言をいふのをお客への御馳走にした時代であつた。細君の芸術を無邪気に自慢する伊勢與の家庭円満は祝すべきでもあつたし、又嘆称すべきでもあつた。伊勢與は温泉廻りが唯一の道楽であつたさうだが、此の温泉廻りにはイツデモ細君が同道したので長い間の苦労を侶にした細君への慰労でもあつたし感謝でもあつた。

(内田魯庵「銀座繁昌記」より)
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かねの両親は、かねの器量から考えても與三郎の商売が安定してしまえばそのうち捨てられるだろうと心配していたが、それは杞憂だった。與三郎もまたどこまでも堅実だった。堅実一点張りでもなく、気に入らない政治家に対抗して、天狗の派手な広告で目を引いたタバコ商の岩谷松平をあてこんで「伊勢與が推すなら」と市民を動かして当選させてしまうといったこともやってのけた。

2代目代三郎時代の伊勢與では、日本で初めて「バーゲン」という英語を用いて大売出しを行った。これは現在のサヱグサでも「セール」ではなく「バーゲン」というこだわりとして、受け継がれているそうだ。

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やがて1923年に関東大震災が起きる。本店が焼失するが、これを契機に「銀座のサヱグサ」となった。再出発は現在の外観にもつながるチューダー様式、三角屋根の店舗になったが、この設計を志賀直哉の弟、直三と志村太七が任された。志村は震災後に京橋で志村建築事務所を開いているが、この事務所は志村と直三で始めている。当時の新聞には「銀座の中央に珍らしい建築 スコットランド風のサヱグサ」と写真付きで紹介されている(「読売新聞」1925年9月13日)。1899年生まれの志賀直三はケンブリッジ留学から帰って間もないころで、記事には「建築界のオーソリチー」と書かれているが、実際は事務所名に表れているように、アメリカの建築事務所で実地経験のあった志村を補佐する形で、直三がともに仕事をしたという方が正確かもしれない(志賀直三『阿呆傳』新制社、昭和33年)。

直三はその後映画業界に足を踏み入れ、プロデューサー、映画俳優(加賀直介名義)、美術監督などを担当しており、1929年には「巌窟王」の上映権を得て泰西映画社を主宰するなど変わった経歴を歩んでいる(永井善久「“映画人”志賀直三の軌跡 『阿呆伝』などを手がかりに」『明治大学教養論集』441号、2009年所収)。

戦後は芸大で講師をしていた時期があり、1958年創業の墨田区の「カド」という自家製パンを食べられる店の内装は、その時期に直三が手掛けたものとして残っているという。31歳で手掛けたサヱグサの外観が、90年以上たった現在もほぼそのままの形で受け継がれて残るとは直三も予想しなかっただろう。

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3代目三枝敏郎さんは、文化事業室で資料を管理する朝子さんや現社長の祖父にあたる。

「祖父母は資生堂パーラーで出会ったそうなんです。子供のころも、パーラーに行ってそんな話を聞くのが楽しみでした。祖父は建築を志していた時期もあり、クリエイティブで社交的なタイプ。父は婿養子で勉強家、物静かで生真面目でした。石橋を叩いて叩きわるような」

朝子さんが笑いながら話す。10年以上前サヱグサビルの1階が空いたとき、慎重な進さんがOKを出したのが「アップルストア」だったというのは、やはり時代の先を見る経営者という感じがする。現在アップルストアはサヱグサビルに入っており、その8階にはサヱグサの日本庭園があるという。

「その庭園からアップルの回るリンゴの看板を見上げられるんですよ」

さぞ不思議な感じだろうな、と思いながら、それってすごく銀座的な風景かもしれない、とも思う。147周年の老舗国産ブランドの持つビルの階下で「世界のアップル」が何百万何千万という売り上げを日々あげている。

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「バブルの時はほんとにブランドの店がたくさん立ち並んで、今は外国人観光客のためにラオックスのような大型店舗ができてる。でもそれが銀座。時代を映してる。歴史を知るとね、過去と向き合ってるというよりも、今の街の見方が変わるの。どんな銀座であっても、それはそういう時代に立ち会ってるんだなとわくわくするんです」

研究者肌の進さんが収集した資料を、朝子さんが受け継ぎ発信する。字面で書く以上の、思いが伝わってきてうれしくなる。知識を求め更新し、深く感じて血肉にしていく人の柔らかい感性に触れる思いがする。朝子さんは進さんが銀座を愛する研究者たちと立ち上げた銀座文化史研究会のメンバーでもある。初対面の私にも「ぜひ、参加して」と声をかけてくださるフランクさだ。

「大企業さんのようなしっかりした社史みたいなものはないんです、小さい会社なので。そのかわり、店舗で会社の歴史の歴史などを紹介する際も、見てくださる人にわかりやすく、写真も楽しく見ていただけるようにアウトプットすることを心がけています

「小さい会社」と朝子さんは何度か言った。参考までに、と取材の時に受け取ったリーフレットは、145周年の際配布したものだという。会社の沿革がA4用紙3枚に書かれているが147年の歴史あるブランドにしては確かにあっさりしている。初代の名前も、その後の社長の名前も見当たらないのはさっぱりしていて清々しいほどだ。

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伊勢與から改名し、昭和と共にスタートしたサヱグサはウールジャージー素材に刺繍をあしらった子供服が本格的に売れていく。現在ジャージと聞くと、化繊のスポーツウェアを連想してしまうが、メリヤス編みとも呼ばれるジャージー編みで作ったものだ。このころの女性雑誌には「お正月向きの可愛らしい男女児服の作り方!」という特集が組まれ、女児服をサヱグサ、男児服を「?島屋子供服部」が図案入りで紹介しており、女児服は紺のウールジャージードレスを着たおかっぱの女の子が庭のようなところにたたずんでいる写真が載っている(『婦女界』婦女界社、1936年1月)。もしかしたら、代三郎と妻マサの沢山いたというお子さんの一人なのかもしれない。

サヱグサは1945年の東京大空襲で全焼するが、翌年には再興を果たす。一方亀屋は1944年に店を閉じてしまう。すでにその3年前の記事でも亀屋が苦境に立たされていたことが支配人だった斉藤泰三の書いた記事からわかる。戦争が始まると、国産奨励で輸入業は大きく制限されていった。ドイツとの貿易も次第にやせ細り、国産に切り替えていった缶詰もブリキ、瓶もコルクなどの不足に陥り、酒の輸入も大きく制限された。「食料品の黄金時代は、日露役から第一次欧州大戦頃までの、輸入萬能の頃であつた」と書いた斉藤だったが、しかし最後にこう付け加えなければならない時代になっていた。

もう一ト息、辛抱しさへすれば、食料品ばかりではない、すべてが明朗となる共栄圏の黎明が近づいてゐるから、冷静に沈着いて職域を励めばよいわけであらう。 

(斉藤泰三「時局と食料品」『日本電報』日本電報通信社、1941年8月所収)
 

誰がどう読んでも、斉藤の本心の言葉と思えないのではないだろうか。皮肉にさえ読める「すべてが明朗となる共栄圏」建設のために、一流輸入品店として隆盛を誇った亀屋はつぶれた。食料品と衣料品でまた違うだろうけども、小売撤退の話がきたときかねが、小売部門継続を主張し、輸入販売に偏った経営を免れたことの意味は大きかったのではないだろうか。

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度重なる天災や戦災を経て、今なお銀座の中心に店を構えるサヱグサ。創業150周年を3年後に控える、現在のサヱグサはどこに向かっているのか。

現社長の三枝亮さんは事業を通じた子どもたちのための豊かな未来創造を目指しており、「SAYEGUSA GREEN PROJECT」という社会貢献の取り組みを4年前に始めた。環境負荷低減への取り組みや、都会の子どもに本物の自然体験や里山体験をさせたいと、キャンプや米作り体験なども企画する。また、長野県北部地震で壊滅的な被害を受けた栄村小滝集落の棚田が再生されたと聞くと現地の人々と膝を交えて購入を決め、さらなる復興と里山存続に貢献するために米事業を始めた。

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文化事業室を出て、サヱグサの店舗へ向かう。志賀直三が設計したチューダー様式を受け継いだ店構えが現れる。中からは中国人観光客と思われる二人の女性が出てきた。店の奥の螺旋階段が目を引く。2階に上がっていくと途中にショーケースに入った小さくて細い指輪がいくつも飾られていた。指輪の真ん中にささやかな石が一粒はめ込まれ、色んな色があった。こんなの買ってあげたら、うちの三人娘は大喜びだろうけれど、そんなに安くはなさそうだ。一緒に店内を見ていた編集者も出てきてぽつりと、自分の子には買ってやれないなあと言っていたが、庶民感覚からするとやはり「いいブランド」である。おじいちゃんおばあちゃんが一緒の時とか、ちょっと背伸びできるときだったら、買ってあげるのもいいかもしれない。まずは次の「バーゲン」をチェックするところから始めようか。

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