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銀座時空散歩

ギンザのサヱグサとその妻 その1

2016.09.01

文/寺尾 紗穂

写真/大森 克己

前川は、腕時計を見ながら、「もう、五時ですな。いかがです。貴女が一人で、ゆっくりお買物なすった方が、楽しくありませんか。僕、ご費用だけは差しあげておきますから。」
「ええ、それもそうですけれど……じゃ、こうして下さらない。——サエグサだけ、つき合って下さらない。サエグサから、私をローヤルまで、円タクで送って下さって、それから会社へいらしってもいいわ。」
 前川は、苦笑しながら、「サエグサは、すぐ前でしょう。」
「ええ、だって厭だわ。私、お姉さまのために、ここへ来て、もう頭なぞ、やってもらう暇がなくなったんですもの。それだのに、私の買物となると、おっぽり出されるなんていやだわ。それに銀座なんか、少しの間だって、独りで歩くの、間がぬけているわ。」前川は、仕方なく肯いて立ち上った。
 松屋を出て、電車通りを横ぎり、そこの洋品店の前で、前川はショウウィンドーを見ながら待っていた。美和子は、十分もかかって、自分の好みのハンドバッグを撰み出すと、表で待っている前川のところへ来て、
「ねえ、ハンドバッグと靴とで、お姉さんと一しょに、七十円くらいまではいいでしょう?」
 前川は、美和子らしい得手勝手な金額に微苦笑しなら、「どうぞ。」と云った。

(菊池寛『貞操問答』改造社、1935年)

1934年から「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」で連載された菊池寛のこの小説の中で、男を買い物につき合わせた女が買ったのはハンドバッグ、選んだ店はサヱグサだ。すでに菊池が発表したこの時点で、「ギンザのサヱグサ」は創業65年の老舗、婦人小物や子供服を扱う洋品店だった。

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「サヱグサ」は当初「伊勢與」としてスタートした。初代三枝與三郎が、当時の輸入食品や雑貨を扱う「唐物屋 伊勢與」として、1869年、築地居留地の外国人を主な顧客に始めたものだ。築地居留地は1868年、築地の鉄砲洲に開かれ、公使館やミッションスクールが集まった。青山学院、明治学院、立教、女子学院などの前身がこの築地居留地から生まれている。サンマー一家が開いたサンマー英語学校(欧文正鵠学館)も良家の子女を中心にして始まり、小学校時代の谷崎潤一郎や、與三郎の開店に力を貸し、後に與三郎の義兄となる輸入品店「亀屋」の主人鶴五郎も、ここで英語を学んでいる。

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與三郎は居留地の学校ではなく、「異人館」と呼ばれていたイギリス公使館につとめた。江戸で成功しようと甲州の親元を喧嘩別れ同然で飛び出し、自力で道を開こうと決意するも、父の計らいですでに江戸にでていた兄の小野清五郎がかけつけ、與三郎に職を紹介する。清五郎は開成学校で教頭も勤めた学者で、イギリス公使館で日本の歴史や日本語を教えていたが、パークスの下で書記をしていたアーネスト・サトウからある相談を持ち掛けられていた。

之まで雇ひ入れたるボーイは皆主人の目をぬすみて不正を働らき、例へば洋服などを取片付くるにも、ポケットに多少の散金あれば其一部を窃取し、また落ちたるものあれば、之を拾ひ取りて返すことなく、来る者代る者悉く皆不良のボーイならざるなき           

(天地生「ボーイより大商人となりし三枝與三郎氏」『実業の日本』9、実業之日本社、1906年5月所収)

正直なボーイを探すことを頼まれた兄はぜひにと弟を説得した。そして與三郎もその期待に応えたばかりでなく、鳥羽伏見の戦いが起こると、まだまだ攘夷派によって身の危険のあったアーネストの道中を幾度も体を張って守り、大きな信頼を得た。ちなみに兄の清五郎は、1869年、與三郎とその弟忠四郎と観劇の帰りに銃で暗殺された。洋学者として西洋思想にも触れていた清五郎は「切腹廃止論」を発表するなど当時としては先進的な人物だったが、攘夷派の残党の手で消されたとされる。攘夷派も刀でなく銃を使う時代になっていた。後に與三郎は故郷石和の一蓮寺に清五郎の石碑を建立している。

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アーネストの信頼を得た與三郎は、イギリスへ同行することをすすめられるがこれを断り、ボーイをして貯めたお金で早速独立に向けて動く。公使館に出入りしていた小原権三郎が與三郎の人柄を見込み、亀屋の鶴五郎に開業場所の提供をするよう促してくれた。鶴五郎もまた、本所の豆腐屋の息子に生まれながらも、築地の「アーレン商会」という外国商館でボーイの下積み時代を送って独立しようとしており、似たような境遇の與三郎に親しみを感じたのだろう。同じ輸入商、とりわけ最初はあれこれと手広く商うので同業といっていいわけだが、鶴五郎の器の大きさに加え、ボーイで1000円もの貯金を貯めた余裕もあったと思われる。ほどなくして、與三郎は鶴五郎の妹かねを娶っており、明治から昭和にかけて銀座で輸入酒や輸入食材の店として名をはせた亀屋と、毛糸販売で軌道に乗り、やがて婦人小物、現在も子供服ブランドとして銀座の中心に店を構えるサヱグサとは早い時期から姻戚関係ができた。のちに、伊勢與2代目代三郎の娘つねが亀屋3代目亀造の妻になってもいる。

「かねさんのことは、この仕事を引き継いで改めて興味深い人物だと思いました。明治の女性の社会進出のさきがけのような人だったんじゃないかなって思うんです。同じ女性として、子孫としてもっと調べたいと思っています」

と言うのはサヱグサの文化事業室室長の三枝朝子さん。4代目三枝進さんの娘さんであり、5代目現社長のお姉さんにあたる。銀座研究と資料収集に熱心だった進さんの蔵書資料を整理し、サヱグサや銀座の歴史資料を保存し発信する仕事をされている朝子さんは、「ジュエリーデザイナーをしていたので、この仕事をするまでは資料を整理したり掘り下げて調べることもありませんでした」と言いながら、銀座の歴史を伝えたいという思い、それから銀座のこれからへの思いも熱く持っている方だった。銀座に関する貴重な資料をいくつも見せてもらいながら色んなお話を伺った中で、かねについてのその言葉が特に印象に残った。頂いた小説家・翻訳家の内田魯庵の「銀座繁昌記」(『中央公論』、1929年所収)を読んでいると、亀屋から嫁いだかねの活躍の実態がすこし見えてきた。

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伊勢與の細君は早くから時代の好尚の推易に着目して、女の洋装や児供の洋装がマダ今日のやうに流行らなかつた頃から婦人小児の洋装附属品を揃へ、東京にマダ指を折るほどしか無かつた婦人用品専門の洋物店として知られた。女の子の被り物としては毛糸の手製の月並の型しかドコにも売つてゐないので、ハイカラ好みの人はワザワザ横浜まで捜しに行つた頃(三十年前)から伊勢與は倫敦の新型を売つてゐた。こういふ新らしいものは皆伊勢與の細君の目鏡で仕入れたので、其頃児供物婦人物はドコでも仕入れを困難としたを、伊勢與の細君は江戸生れの婦人であつて時代に率先した。

(内田魯庵「銀座繁盛記」より)
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天性の美的感覚に秀でた人だったのだろう。多くの日本人が流行りの中で追いかけた新しい装い、「ハイカラ」の先端にかねがいた。1875年銀座3丁目に移転してから輸入販売と並行して始めた小売りの方は手を引く話もでた。しかし、かねは踏ん張った。

寧そ私の道楽にやらせて下さいと申ました。主人はよせといひますし、代三郎(若主人 編注・興三郎の婿養子)もそんなことをしたつて湯も茶も呑めますまいからといつて止めて呉れましたが、どうも止める気になられませんので、たつて乞ふて継続することに決しました。

(三枝かね子「女ながらも引受けし商賣が意外に発展したるは何故か」『実業の日本』12、実業之日本社、1909年4月所収)

スタイルを選び、流行を切り開ける女性であったかねの能力とともに、その女房の感性を信じ、最終的には任せた與三郎がいた。明治時代、ハイカラな女性を煙たがる男性もまだ多かったころに、與三郎は十分に開明的で柔軟だった。おそらくこの二人の二人三脚がサヱグサの基盤を築いた。サヱグサの商機のきっかけは編み物流行の波に乗って毛糸が売れたことだったが、もしそれだけであれば、現在のようなブランドになっていたかはわからない。その後の二人が築いた「婦人・子供の洋品店」としての信頼が現在のサヱグサにつながっているように思えた。そして、今となっては注目されることもほとんどないけれども、かねは大きな役割を果たしていた。創業時の、食べ物にも不足する時期、繁盛してからの食事する間もないほどの忙しさ、小売り継続の重要な決断、江戸生まれの女性としては驚異的な独自のセンスで流行を牽引した手腕は改めて注目されていいもののように思える。

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伊勢與が当初扱って大当たりした「毛糸」は、日露戦争が始まると防寒着の需要が伸びて値が上がった。それに乗じて大きく儲けることもできたが、かねと與三郎は値段を据え置き、逆に客から「いつ上がるのか」と聞かれたという。かねは次のように書いている。

戦争で生命を的にしてお働きなさる方々にお送りになるものを特に儲けましては済みませぬ。それも損をいたしますならば格別ですが、以前の廉い相場で仕入れましたものは今まで通りの値段に願ます。國の為にお働きになる方々に對して特に儲けやうといふ考は少しもありませぬ。

(三枝かね子「女ながらも引受けし商賣が意外に発展したるは何故か」より)

なるほど、戦中銃後の商店主としては模範的な回答だな、とも思えるのだが、おそらく商店街とか町内会の活動だろう、出征軍人の留守宅を慰問することを持ち掛けられると「私は家で働いて夫(それ)だけのことを致します」と即座に断っている。骨の髄まで商売が好きな人だったのだろうが、それだけでなく自らの役目とそれ以外を明確に示して周囲に流されないところは、男性顔負けの気概を感じる。

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與三郎は明治時代の終わりと共に生涯を閉じた。かねはオリジナル商品の開発に活躍しながら大正を生き、関東大震災を迎えた3か月後に亡くなっている。しかし「伊勢與」が「サヱグサ」となるのはまだ先だ。大正、昭和、平成へと連なるサヱグサの歩みをいま少し追ってみたい。 

(その2に続く)

クリエイターの紹介

寺尾 紗穂

音楽家/文筆家

1981年、東京生まれ。2007年、ピアノ弾き語りによるアルバム『御身』でメジャーデビュー。 CM、エッセイの分野でも活躍中。2014年11月公開の安藤桃子監督作品「0.5ミリ」(安藤サクラ主演)に主題歌を提供している。著書に『原発労働者』(講談社現代文庫)、『南洋と私』(リトルモア)などがある。
http://www.sahoterao.com

大森 克己

写真家

1963年 神戸市生まれ。1994年第9回キヤノン写真新世紀優秀賞受賞。国内外での写真展や写真集を通じて作品を発表している。主な写真集に『サルサ・ガムテープ』(リトルモア)、『encounter』(マッチアンドカンパニー)、『サナヨラ』(愛育社)、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)など。
http://www.instagram.com/explore/tags/ginzaspacetimewalk/

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