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銀座時空散歩

カフェーパウリスタとブラジル移民 その1

2016.06.01

文/寺尾 紗穂

写真/大森 克己

画家の奥山義人さんによる『こうひい絵物語 版画珈琲小史』(文・伊藤博 旭屋出版、1993年)という版画集を手に取ったのは2012年だった。奥山さんはコーヒーの歴史についてたくさんの版画を作っていて、これをDVDにしたいので音楽をつけてほしい、という仕事の依頼を受けたのだ。松戸のご自宅まで奥山さんを訪ねたあと、版画集を見ながらピアノで音を作り始めた。

アラビア半島、イラク、エジプト、エチオピア、トルコ、ボストン、リビア、ブラジル……土地から土地へとコーヒーが伝播し、人々がこの飲み物に魅了されていく様子を伝える版画作品は、朴訥とした味わい深いものばかりだった。この『こうひい絵物語』の最後を飾る版画は、2階建ての瀟洒な建物の前に「カフェーパウリスタ」と車体に書かれた車が停まっているものだった。版画には次のような説明も書かれていた。

一九一二 大正の初め珈琲の味を広めた水野龍の「カフェー・パウリスタ」本格的ブラジルコーヒーが五銭と評判よく最盛期には全国に二十余の支店を設け多くのコーヒー飲みを生み出した。

(版画・奥山義人、文・伊藤博『こうひい絵物語 版画珈琲小史』旭屋出版、1993年)

版画が描く瀟洒な建物は、明治44年12月に京橋区南鍋町2丁目(現在の銀座7丁目にあるピアジェの入る丸嘉ビル)に開かれた「カフェーパウリスタ」だ。長谷川泰三の『日本で最初の喫茶店「ブラジル移民の父」がはじめた カフエーパウリスタ物語』を読むと、この銀座店がどれほど多くの文化人に愛された場所だったかを知ることができる。

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作家の平野威馬雄は、「カレーライス、ワン」と英語で少年給仕が注文を告げるスタイルと、その美味しさを、銀座生まれの映画監督・山本嘉次郎は、5銭で二つ食べられた、ザラメ砂糖がこぼれおちニッキ香るドーナツや、夏限定のペパーミントゼリーについて書き残している。日本の広告代理店の草分けである弘報堂に勤めた瀬田兼丸は、コーヒーとドーナツで「人間が大変新しくなったような」気分について、またテーブルに大きな砂糖壺が置かれどれだけ使ってもよかったことも人気の要因だったと回想している。

とにかくカフェーパウリスタに関する文献は、回想録だけでもたくさんあり、小説や詩に描かれるものも挙げればきりがないほどなのだが、私はたまたまご縁を頂いた奥山義人さんのお父様である版画家・奥山儀八郎さんの文章をとりあげてみよう。

古い珈琲通は、カフェー・パウリスタの名を忘れる事はできない。それは大正の始ころから震災前のこと、東京有楽町、鍋町(今の資生堂の裏)、その他全国に十九の珈琲店を出した。一杯五銭(ドーナツ附)という純ブラジル豆の珈琲であった。そして今日五十歳台の終りから六十歳代の古い珈琲マニアは多かれ少なかれこのパウリスタで珈琲の洗礼を受けて珈琲通となったものだ。本来珈琲は後をひくと云う魔的魅力のある飲物だが、このパウリスタが利益を目的とせぬ宣伝第一主義の経営で、多くのコーヒー飲みを作り出さなかったら、今日市内いたる所、六―八千軒の珈琲店に成長しなかったことと思う。


(奥山儀八郎「カフェ―・パウリスタ」『珈琲遍歴』旭屋出版、1973年所収)
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奥山さんがなぜコーヒーの版画を作ったか。それを語るには奥山さんの父、儀八郎さんの存在が外せない。儀八郎さんもまた版画家であり、コーヒー研究者でもあった。義人さんは版画とコーヒー、二重の意味で父親の歩んだ道を踏襲し受け継いだ。儀八郎さんの書いたことを裏付けるかのように、昭和4年に『銀座通』という作品で銀座今昔の様子を描き出した新聞記者の小野田素夢は、巻末で次のように述べている。

パウリスタで、恐ろしくにがいコーヒーを、これをのまねばハイカラではないと聞かされて、我慢をして飲んでからまる十四年経った。その頃私はある上流家庭の厄介になって学校へ通っていたが、実をいえば、学校へは月謝を納めるだけで、毎日パウリスタに通って、そのにがいコーヒーに不思議な昂奮をおぼえながら、小説に読み耽っていたのである。(中略)にがいものだ、と思ったコーヒーがいつか私の味覚の恋となった。そしてその恋は当然私と銀座を結びつけた。銀座をおいて私の恋を満足させるコーヒーがなかったからだ。


(小野田素夢「銀座通」 坪内祐三監修・解説『銀座通 道頓堀通』内廣済堂出版、2011年所収)

パウリスタに魅了されたのは、文化人のみならず学生たちも同様だった。慶應義塾大学の学生だった佐藤春夫も次のように回想する。

公園のどこかで一休みすると、我々の足は申し合わせたように一斉に自然と新橋の方面に向かい、駅の待合室で一休みしつつ旅客たちを眺めたのち、「パウリスタ」に行ってコーヒー一杯にドーナツでいつまでも雑談に時をうつしていると、学校の仲間が追々とふえてくる。みな正規の授業をすました上級生たちである。

(佐藤春夫『詩文半世紀』読売新聞社、1963年)

学生たちが気軽に入れたのは、1杯5銭という価格設定が大きかった。同じころはやったカフェープランタンはお酒や料理も充実させ、2階は会費50銭の維持会員専用としていた。こうしたスタイルは文化人受けはしても一般人には敷居が高かったことを考えると、黎明期の二つのカフェの異なる性格が見えてくる。

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カフェーパウリスタは現在銀座8丁目にある。関東大震災後にカフェープランタンが移った場所だ。半円につきだしたベージュの庇が愛らしい。ビルの1、2階にゆったり客席が並んでいる。ドアを開いて店内を見渡してまず目に入ったのは、コーヒー農園の労働者を描いた銅版画だった。全体に重厚な雰囲気がただようが、彩色は鈍く光りながら多彩で、美しい。

今はなき、大正期のパウリスタは、ガラスが店内あちこちに張られ、中央の蓄音機で好きなレコードをかけることもできたという。時が移り、店が変化していくのは当たり前だが、場所が移転しているのが少し寂しい。入口前のレジ横にあった「カフェーパウリスタ銀座店のご案内」という冊子には次のように書かれている。

交詢社前にあった旧銀座パウリスタは、大正の佳き時代、文化の新風の担い手として多くの人々に愛されましたが、1923年の関東大震災で惜しくも焼失しました。戦中・戦後を経て1970(昭和45)年に創業店から歩いて三分ほど、西洋文化の中心地である銀座にコーヒー文化の担い手として、カフェーパウリスタ銀座店が再開されました。

(『カフェーパウリスタ銀座店のご案内』)

しかしそれほどまで文化人や学生に愛され、人々にコーヒーを広めた名店が、震災があったからといって再開するのに47年もかかっているのがひっかかった。そして、さらにパウリスタの歴史を紐解いてみると、「ブラジル移民の父」と呼ばれた水野龍と、彼のかかわった移民事業が、カフェーパウリスタの歴史に深く関わっていることが分かった。華やかなパウリスタのいわば裏側をもっと知りたいと思った。

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パウリスタの生みの親、水野龍は高知出身で「皇国殖民会社」という会社をおこした人物だった。殖民とは、他国で経済活動をして暮らすことであり、当時は移住先のことを「植民地(殖民地)」とも言った。水野は当時すでにあった移民会社に憤りを感じていた。

移民会社とは、その名のとおり、国内の移住希望者たちをとりまとめ、渡航先に送り、現地の農園主などに引き渡すことを業務にするわけだが、こうした会社の多くが、移民を食い物にして利益をあげている状況や、悪質な日本各地の代理人や手代にだまされた移民たちが苦しんでいる実態を憂えて、自ら移民会社を立ち上げたのだ。

明治41年、第1回のブラジル移民を率いた水野はその後パウリスタを全国に展開しコーヒー普及に貢献しているので、すでに紹介した奥山父子のようなコーヒー通の人々にとっては、偉大な功績者と認識されている。

しかし、水野の評価は必ずしも輝かしいものばかりではなかった。ブラジル日本人移民史研究者の中村茂生は2008年に水野に関する論文を発表しているが、水野について「日本近代史で言及されることはほとんどなく、ブラジル日系社会では、どちらかといえば負の評価が主流である」と言及している(中村茂生「水野龍・前半生に関するノート ―自由民権運動からブラジル移民・殖民事業へ―」高知市立自由民権記念館編『自由民権記念館紀要 16号』自由民権記念館、2008年)。日系社会、すなわちブラジル移民やその子孫たちの間で水野に負の評価が下されてきたとしたらそれは何によるのだろうか。 

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移民の宿泊所にあてられた長屋は、土間に枯草が薄く敷いてあるだけであった。「俺達は馬ぢゃない」。この耕地の移民は六月二十九日に入耕し、七月五日まで家屋の振分け、寝室作り等に費し、翌六日から愈々珈琲實採取を始めたのだが、しかし一家族三人で、四キロ、五キロ位しか取れなかった。七キロ半が一俵(五十リットル)で、一俵採取しても五十レイスであり、一人で一日四五俵も採取出来る勘定であつたのだ。それが三人かかつて一俵にならなくては困るのである。だからそんな日が三日も続くと、移民達はもうやり切れなかった。

(『ブラジルに於ける日本人発展史 上巻』ブラジルに於ける日本人発展史刊行委員会、1941年)

第一回移民の到着後の「ヂュモント耕地」での状況である。2か月近くに及ぶ航海を経てようやくたどりついたブラジルで待ち受けていた状況は、過酷なものだった。「移民のための移民会社を」という正義感から会社を立ち上げた水野だったが、自らも「悪徳移民屋」と罵られることになってしまう。しかし面白いことに、この初回の移民事業失敗こそが、カフェーパウリスタの生まれる契機を生むことになる。

毀誉褒貶や人生の浮き沈みをものともせず、一途に移民とコーヒーにこだわり続けた水野龍の足跡をいま少し追ってみたい。

(その2に続く)

クリエイターの紹介

寺尾 紗穂

音楽家/文筆家

1981年、東京生まれ。2007年、ピアノ弾き語りによるアルバム『御身』でメジャーデビュー。 CM、エッセイの分野でも活躍中。2014年11月公開の安藤桃子監督作品「0.5ミリ」(安藤サクラ主演)に主題歌を提供している。著書に『原発労働者』(講談社現代文庫)、『南洋と私』(リトルモア)などがある。
http://www.sahoterao.com

大森 克己

写真家

1963年 神戸市生まれ。1994年第9回キヤノン写真新世紀優秀賞受賞。国内外での写真展や写真集を通じて作品を発表している。主な写真集に『サルサ・ガムテープ』(リトルモア)、『encounter』(マッチアンドカンパニー)、『サナヨラ』(愛育社)、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)など。
http://www.instagram.com/explore/tags/ginzaspacetimewalk/

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